訪問看護ステーションつばさ~その人らしさ~

早いもので年が明けて半月が経とうとしています。

今冬は暖冬といわれていますが、やはり冬らしい寒さとなってきました。

こたつの中でのうたたねが最高に気持ちいい時期です。

さて、今日は利用者A様から学ばせていただいたことについてお話したいと思います。

 

Aさんは、おしゃべりや歌や踊り(特に日舞)、にぎやかな所が大好きな方でした。

訪問に伺うと1時間Aさんのおしゃべりや踊りの見学にお付き合いすることもあり、毎回とても楽しい時間を作ってくださいました。

そのAさんが、脳血管疾患により片麻痺、失語症、記憶障害の状態となられました。

当然今までのようにおしゃべりも踊りも歌もできませんし、長年関わった私の顔さえも忘れておられました。

このことを私は,

「あんなに好きだった踊りも歌もできなくなって、Aさんらしさがなくなった。私のことやそれ以外のことも忘れてしまって寂しい」

と思っていました。

今は施設に入所されており、たまたまその場に居合わせた私は、Aさんのある行動を目にして胸がいっぱいに

なったのでした。

なんと、Aさんが音楽に合わせ、健側の腕を満面の笑みで動かして踊ってあったのです。

それは、元気なころに私に見せてくださっていた日舞の手や指のしなやかな動きそのものでした。

「Aさん、忘れていなかったんだ!ちゃんと、Aさんらしさは残ってた・・・」

と、うれしくて熱いものが込み上げてくるような心境でした。

 

認知症やがん末期、身体障害により、できないことが増えてくることで

「自分はこんなこともできなくなってしまった」

という心の痛みが生じます。

ですが、本人らしさを見つけ、それを大事にしながら生きていく・生活していくことが「生活のはり」となり、そしてそれを維持できるように支援することが私たちの役目ではないかと考えます。

 

利用者様たちの「これがしたい」「これが好き」という思いを大事にして、それを可能な限り実行していけるように支援していきたいと思います。 

 

~Aさん、今年もたくさんの踊りと笑顔を見せてくださいね。~

 

         訪問看護ステーションつばさ 吉武 由紀美

 

コメントをお書きください

コメント: 3
  • #1

    訪問看護つばさ 小野幸代 (土曜日, 12 1月 2019 01:09)

    踊りが得意なAさんを良く知っている私も、今の様子を窺うと本当に嬉しく思う。
    その人らし・・・
    この言葉を数年前から考え込むようになりました。
    私らしさって何だろう
    自分自身が思う私らしさと
    他者が思う私らしさって、どうも違っているように思うときがある。
    自分自身には見えない自分が私らしさと思われているなら、その私っていったい誰?
    その人の人生のほんの数年しか関わっていないのに、その人らしさって言っていいのだろうか?
    アドバンス・ケア・プランニングをする際に、私らしさってこういうことなんです・・ってみんなに伝えておきたい、それも大切なことかもしれない。
    踊っているAさんは確かにAさんらしい・・.そう思っていいですか?Aさん!

  • #2

    訪問看護つばさ 高井良美由紀 (土曜日, 12 1月 2019 17:00)

    施設に行き、Aさんに声をかけると、笑顔と同時に健側の手を動かされしなやかな踊りを見せてくれます。
    きちんと視線も右、左、右、左…と。手を目線で追っている姿。。
    施設に入居されたばかりの時期にはそのような姿は見られていませんでした。
    毎回会うたびにほっこりします。

    その人らしさ…。自分が思っている私らしさと他者にうつっている私らしさ。それが、自分が思っていることと、他者が思っている「らしさ…」が違う時も確かにあるなぁ。と思います。
    私は自分では気付いていない部分を先輩方が気付いてくれた時は「えー!そんなところがあるのか、私!」と思いますが、私にとっての強い面、弱い面でも、気付いてもらえてありがたいなぁ。。思います。
    そんな自分も好きになれる自分になりたいものです。
    人と人が関わる毎日。その中で時間が過ぎていく…。
    「その人らしさ」はなんなんだろう。自分が思っているのははたして当たっているのだろうか…。いろんな視点から見て多くの気付きができる。そのような人に成長したいです。

  • #3

    斎藤如由 (日曜日, 13 1月 2019 15:01)

    心がラクになる生き方 という本があります。禅僧侶が書かれてます。その中に、昨日の自分と今日の自分が同じだと言える根拠は2つだけ。 自分だと思える記憶と他人からの承認だけ。
    朝起きたら自分の記憶が全くなくなったら、自分の存在は違ってきます。また、まわりの皆があなただと言ってくれなかったら。
    吉武さんがAさんだ!と認識してくれて、Aさんが音楽が好きな自分を覚えていたから、変わらないAさんがそこに存在しました。

    その人らしさも同じだと思います。自分らしさとはこうだ!と言える人はそう在りたいと思っているだけかも知れません。吉武さんの存在そのものが、Aさんのそのひとらしさの礎になっていると思います。
    ひとは関係性の中で生きています。ひとの悩みの大半は他者との関係性の在り方に起因しています。
    ----にも関わらずどうにかしようとする力がある状態を健康な状態というなら、Aさんの身体状態がどんな状況になろうとも、健康に生きていけるためには吉武さんの存在が不可能ということになるかと思います。Aさんだ!と認めてくれる人の存在です。